Characters

俊一編ショートストーリー

「君と僕だけの国」前編


「本当にいいんだね」

「……うん。いいよ」

「あとでいやって言っても、引き返さないよ」

「いやなんて言わない」

「——そう。じゃ」

くすっと笑い、清孝が車のドアを開ける。


「乗って」

「うん」

海も笑った。
ふたりして、わざと真剣な顔でふざけてみた。

でも、ちょっとドキドキする状況なのは本当だ。
海は、これから自分がどこへ連れて行かれるのかわからない。
清孝だけが行き先を知っている。


——いつもいつも、私の行きたいところばかり行くのつまらない。

はじまりは、海がそう言ってすねたことだ。

清孝はそれが楽しいと言うから、映画でもドライブでも買い物でも、休日は海の望みどおり過ごしていた。
どこへも行かずに部屋でのんびりしたいと言えば、清孝は笑ってそうしてくれた。
嬉しいけれど、たまには清孝に決めてもらいたい。
清孝の選ぶ一日を過ごして、心をもっと清孝に近づけたい。


「……だったら、行く? 僕の好きな場所」

困ったような笑い顔で誘われ、海はためらわずOKした。

そしていま、海は清孝の車に乗っている。
ミステリアスな今日のデート。


「雨、降らないといいね」

空は白っぽい灰色の曇りで、空気はいくらか蒸している。


「雨なら雨で、悪くないけどね」

「これから行く場所?」

「うん——」

「あ、でもどこか聞かないよ」

海は清孝を手で制した。


「行った先でびっくりしたいから」

「びっくり……?」

「しないの?」

「わからない。けど、これで海ちゃんの反応が地味だったらへこみそうだ」

「え。キヨさんへこむことあるんだ」

いつも大人で冷静で、バンドではみんなを確実にバックアップする清孝なのに。


「あるよ。けっこうへこんでる」

「どんなとき?」

「海ちゃんとの会話がはずまないとき」

「ああ! よくあるよね」

「……」

しまった。まさにいま、へこましちゃった。


「キヨさん。ハンドルに伏せないで。前見て」

「いま赤信号だもん」

「だもんって。ごめん。立ち直って」

もちろん清孝はすぐに顔をあげてきちんと運転したが、横顔はまだ少ししょんぼりしていた。
海はこっそり笑ってしまう。
いいのに。

たしかに清孝は、バンドのほかの仲間のように、キャッチボールのようにぽんぽんしゃべったり、大笑いのジョークを言ったりしない。
特別な人になったいまでも、どこかつかみきれないところもある。
けれども、海はそんな清孝が好きだ。
静かに笑って差し出される彼の手をとると、言葉はなくても、秘めた何かが伝わってくるようでドキドキする。

海沿いを北上していると思ったが、いつのまにか景色は街になり、頭上に高速道路の高架が続いている。
コンクリートの灰色。
空の薄い灰色。
道沿いのラーメン屋さんの看板の、うすく埃を被った赤。
荷台の長い大きなトラックが、すごいスピードで走っている。


「そろそろ近いよ」

「え。そうなんだ」

この近くが、キヨさんの好きな場所?

いったい何があるんだろう。

車はふたつ信号を曲がった。
やがて、少しずつ空が広くなり、視界が開けてきた。


「……わあ……」

海は静かに感動する。
そこにあるのは、これまで見たことのない景色だった。

 

運河の向こうの工場の島。鉄の要塞。鉄の国。
機械と、パイプと、鉄の階段とらせんの通路。
鉄骨で組まれた高い塔。煙を吐く高い煙突と、巨大な鉄の球体のタンク。

家やお店や、生活感のある建物が見当たらない。歩いている人も見かけない。

見えるかぎり続くコンビナート。


「すごい……」

ハードなSF映画の舞台みたいだ。
だけど、作りものにはない、胸に迫る何かがある。


「ここがキヨさんの来たかったところ?」

「うん」

おかしいかな、と清孝は少し照れる。


「この景色を見ると落ち着くんだ」

「ちょっとわかる気がする」

なんなのかな。
そっけないのに、せつないような、懐かしいような不思議な感じ……。


「降りて少し歩く?」

「うん」

運河の橋を越えたところで、清孝は車を減速させ、道のはずれに車をとめた。


「あ。ちょっといい?」

一度降りてふと思い出し、海は車に置いたバッグを取りに行く。


「忘れ物?」

「でもないけど」

一応。
用意してきたものがあるから。


「行こう」

少し冷えた指の長い手が、海の手をそっと包んで握る。
海もその手を握りかえした。
ここは海には未知の世界だ。
しっかりと清孝を感じていないと、鉄の国に取り込まれてしまいそうだ。

空はずっとごうごうと低くうなっていた。
工場の群れが放つ音がひとつになって、雲に反響しているようだ。斜めに飛ぶ飛行機が大きく見えた。
ここは空港も近いんだよと清孝が教えてくれた。

黒く錆びた鉄の塔が巨人のようにそびえたち、清孝と海を見おろしていた。

複雑に絡みあう配管は、人がなかを通れそうなほど太いものから、海の腕より細いものまでさまざまだった。
ところどころに丸い計器が取り付けられているが、何を計るのかむろんわからない。

清孝と海と、ふたりの足音が聞こえている。

夢のなかを旅しているみたいだった。


「線路があるね」

「あそこに駅がある」

清孝が指さす先にホームが見える。
小さなホームと改札があるだけの無人駅。

行ってみると、この時間はほぼ一時間に一本の電車が、あと数分で来るとわかった。


「乗ってみる?」

「遠くまで行くの?」

「大丈夫。駅と駅の間隔は短いから」

「じゃあ乗ってみたい」

「うん」

清孝が微笑してうなずいた。

やがて2両だけの短い電車が入ってきた。

電車は10分ほどで終点に着いた。


「わあっ……うそ……!?」

ホームに降りて、海は目を疑った。


「海の上だよ! 駅が海の上!」

電車を背にして見える景色は、広がる湾と向こうの島の工場と空。
正確には、ホームのすぐ下が運河の河口になっているのだが、立っていると海の上にいるみたいだ。


「すごいなあ……」

風に吹かれて、海はしばらく景色に見入る。
足元の海はくすんだ緑、工場はうっすら霞んでいる。
お天気がよければ、もっと爽やかで気持ちよかっただろうと思う。
でも、いまの夢か現実かあいまいな感じは、曇りだから味わえるのかもしれない。


「海」

「……あ」

長い腕が背後から海を包みこんだ。


「楽しんでくれてる?」

囁く唇が、海の髪に触れるくらい近い。


「楽しいよ。楽しいっていうか……ドキドキして、少し怖いけど、はまる感じ」

いまもそう。
キヨさんの腕のなかで、ドキドキしてる……。

そっと海は清孝の腕に甘えてみた。

そうだ。
工場地帯の不思議な魅力と、私がキヨさんにひかれる気持ちは似てる。


「わかった」

清孝がふっとつぶやいた。 


「何が?」

「僕が、この場所を好きな理由」

「どんな理由?」

清孝は海の髪を優しく撫でるだけで答えない。
ほら。
そういうことろ、ずるいけど嫌いになれないんだ。



To be continued...

次回更新は2009.2.24です。
初出 電撃Girl's Style2008年7/25号